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独断と偏見、散文詩

数字で見るパクジェボムの11年キャリア年代記

hiphople.com

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12月31日、2021年最後の日に韓国ヒップホップシーンに衝撃的なニュースが伝わってきた。パクジェボム(Jay Park)が自分が立ち上げた会社のAOMGとハイヤー・ミュージック(H1GHR Music)の代表を辞任するということ。

その前日の30日、自身のツイッターには"if i ever retire or disappear make sure to miss me(私が引退したり消えたら、ぜひ私を懐かしがってください)"と残し、以前から地道に示唆していた引退についてもう一度言及した。また、2022年になりインスタグラムアカウントまで整理をした。 本当に引退をするのか、でなければ単に代表職だけを放棄するのか新しい出発をするかは分からないが、とにかく彼の宣言とリタイア*に人々の反応は乱高下している。 理由は何であろうと、今の時点でできるのは、彼が歩んできた足跡を想起させてみることだと思ってパクジェボムが過ごした11年**間とそのキャリアを数字を中心に整理してみた。

 

* 1月3日、ヤングアンドリッチレコード(Yng & Rich Records)が主催する<ドロップザビート>をサポートする映像が公開されたので、完全に姿を消したと言うには多少難しいかもしれない。

 

**2PMでデビューしたのは2008年、"Nothin'On You"カバーなどで活動を再開したのは2010年だが、本格的なソロキャリアの始まりといえるEP[Take A Deeper Look]から計算して11年と表記した。

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99

おそらくパクジェボムが個人活動だけに注力していたなら、現在韓国ヒップホップシーンでこれだけのプレイヤーとリスナーにリスペクトを受けられなかったはずだ。

彼は自分の音楽家的活動と同様に自分を筆頭にした集団を強固に固め、周囲の人たちへ向けて想像以上の努力を傾けてきた。その端的な証拠を挙げると、彼はこの10年間、99人のアーティストにフィーチャリングしながら自分の声でポップ、ヒップホップ、R&B系のアーティストをアシストした。 曲数で計算すればメロン検索基準で100曲を優に超える。

 

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一見するとその中でレーベル所属アーティストのためのサポートが多く含まれているのではないかと思うかもしれない。 しかし、実際、両レーベル所属アーティストは割合を計算してみても20%をかろうじて上回る水準だ。 客演の面々を見れば、もっと興味深い。彼は自分がショーミーザマネーPDだった時はチームメンバーが発表した個人トラックに少なくとも1回以上フィーチャーした。

 また、米国で生まれ育ったアイデンティティになぞらえて、Losやジュノフロー(Junoflo)など韓国系米国人ラッパーたちと多くのコラボを行った。 その他にもイヨンジ、ソコドモ(sokodomo)、アッシュアイランド(Ash Island)、高等ラッパー4参加者まで、ひと回り以上若いアーティストたちとも地道に協業してきた。

 

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42

驚くなかれ、これまでパク·ジェボムが設立したAOMGとハイヤーミュージックと関わり、または依然として所属して活動しているアーティストの数だ。

42人*は、かつて*1ウィングス(Swings)中心に構成されたIMJMWDP(ジャストミュージック、インディゴミュージック、Wedaplugg)、レーベルではないが国内最大規模のクルーといわれているバックワイルズ(Buckwilds)の30人を超える最大人数と確認される。比重は仲良くほぼ半々、AOMGが21人、ハイヤーミュージックが22人だ。**

この中にはグレー(Gray)、ロコ(Loco)、シクケイ(Sik-K)のようにレーベル初期から今までを共にして来たメンバーもいて、ジーソウル(GSoul)、モキオ(Mokyo)のように途中でレーベルを辞めたメンバーたちももちろん入っている。

 

* AOMGのごく初期に脱退したプロデューサー軍を除いた数字だ。

** パク·ジェボムが両方に含まれてレーベル別に見ると43人だ。

 

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当然、パクジェボムだけの力でこのすべてのメンバーの活動を導いたのではない。 しかし、2億ウォンの借金を肩代わりし、ロコを連れてきたように、SMTM4で偶然に出会ったシックケイがレーベルの主軸メンバーにまで成長したように、彼はメンバーの獲得の面でレーベルに多大な影響を及ぼし続けた。その間に両レーベルはコードクンスト(Code Kunst)、グルービールーム(Groovy Room)たちがプロデューサーもフロントマンであると同時にスターになれることを見せつけ、ハオン(HAON)とビッグノーティ(BIG Naughty)、トレードエル(TRADE L)という若い血を輸血して、チョン・チャンソンを迎え入れたことで、韓国スポーテインメントの可能性を見通すなど、発展に発展を繰り返してきた。

 

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13

パクジェボムは韓国に正式復帰した2011年から計13枚のアルバムを発表した。 1年に平均1枚以上を出したわけであり、アルバムを出さなかった年を挙げると、今のAOMGを設立した2013年と2017年、そして辞任を宣言した2021年だけだ。 その中を覗いてみれば、もっとドラマチックでダイナミックだ。 少なくとも15曲から最大19曲収録した正規アルバムを計5枚を出し、その間にアグリーダック(Ugly Duck)、ヒットボーイ(Hit-Boy)、ユルトロン(Yultron)、KIRIN、DJ Wegunとともに共作EPを着実に出してきた。

 

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さらにロックネーション(Roc Nation)に合流して打ち出したソロEP[ASK BOUT ME]など、ソロEPさえも3枚にのぼる。単なる物量攻勢ではない。その間に絶えず発展した韓国語能力とラップスキル、そしてメインストリームヒップホップとR&B、レトロまで自由自在に行き交った音楽的スペクトルが、数多くの活動の中でもパク·ジェボムがどれほど作品活動を怠らなかったかを立証する。その一方で、"몸매(MOMMAE)"、"All I Wanna Do"など手堅い多くの人の耳を虜にするヒット曲を着実に採用してきたからこそ、この10年間誰も彼の業績を簡単にダウンさせることないように隙間なくソロキャリアを積んできたと言うことができる。

 

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8

パクジェボムが見せてくれたアーティスト個人としての証明は 8回*受賞という可視化された結果にもつながった。 彼は今まで5度行われたヒップホップ・アワーズ(以下KHA)で今年のアーティスト部門を計3回(2017、2018、2020)受賞し、今年のR&Bアルバムも1回受賞した。 韓国大衆音楽賞(以下KMA)では2017年の総合部門で'今年の音楽家'、ジャンルの部門で[EVERYTHING YOU WANTED]で'最優秀R&B&Soulアルバム'を受賞した。 2013年の第10回、2015年の第12回KMAでは'ネチズンが選んだ今年の音楽家、男子部門'を受賞したことがある。


*KHAとKMAだけを集計しており、2012年ゴールデンディスク・アワードなどを含めば、より多くの受賞経歴がある。

 

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つまり評論家と大衆を魅了しヒップホップ、R&Bアーティストとしてのキャリアを築いてきたということだ。 2017年KMA'今年の音楽家'に選ばれた時、音楽評論家のカン・イルグォン選定委員は"パク·ジェボムは本当に休まず動き続け、ただ熱心にしているだけでなくしっかりした音楽的結果を通じて評価された"と賛辞を送ったことがある。 翌年の2018年、KHAでは既存のAOMGはもちろん、ハイヤーミュージックの設立とロックネーション(Roc Nation)の合流を通じ、新しい世代に向けて真摯な努力をしており、地理的な障壁さえ崩したというメンションを受けたことがある。

 

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6

SMTM9の優勝者、リル·ボーイ(IllBOI)のファイナル競演曲「ON AIR」でパク·ジェボムは「AOMG H1GHRなしじゃ上手くいかないショミ」という歌詞で自信を示した。それもそのはず、彼はプロデューサーとしてロコと一緒に初出演したSMTM4からシーズン8を除いた6シーズンにプロデューサーまたはフィーチャリングとして登場したことがある。また、サイモン・ドミニク・(Simon Dominic)、グレイ、コードクンスト、シックケイ、pH-1等AOMGとハイヤーミュージック所属メンバーが多数のシーズンにプロデューサーと客演に絶えず登場し、影響力を誇示してきた。

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再びパク·ジェボムが個人に話を戻すと、彼はシーズン4当時、リル·ボーイの「ON IT+BO$$」の舞台で「脱落しても僕らは相変わらず堂々として ショーミーザ·マネーに何を望むか」というラインを口にしたことがある。その言にふさわしくSMTMの中で優勝をはじめとする最終結果とは関係なく、自分が考える趣をヒップホップという枠内で見せようとした。現に前述した「ON IT+ BO$$」の舞台は依然として、どうして落ちたのか分からない舞台と呼ばれ、シーズン6のプロデューサーだった時はジュノ·フロー(Junoflo)の「비틀어(Twisted)」でウェストコーストナンバーをしっかりと見せたりもした。「グクポンライン*2」で有名な最近の2シーズンでのインパクトあるフィーチャリングまで、Show Me The Moneyはいつも彼の舞台だった。

 

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1

どの数字をあてがっても、「1」よりパクジェボムにふさわしい数字はないだろう。 彼は、Kポップが世界的に復興している当初、最も熱かったアイドルグループのリーダーから韓国ヒップホップシーンを代表するラッパーへ転身し、シンガーやアーティスト、そしていまや主流事業にまでチャレンジするアントレプレナー(Entrepreneur、企業家)として生まれ変わった唯一無二の存在だ。

スターダムにのし上がったがあっという間に非難されて追い出された彼は、マザーランド(母国)と呼ばれた国に戻り、10年の努力でローカル最高の音楽ジャンルにおいてスターになった。私たちはこうした叙事を「主人公叙事」と呼び、またワンアンドオンリー(One & Only)という修飾語をつける。 だからこそ、多くの部分で最初で最高だった彼がいつになってもまた素敵な姿で帰ってくると期待している。

 

 

 

 

 

 

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はい、最近記事訳しかしてない当ブログですが、、

これは・・・!と思った記事を見つけたのでお粗末ですが訳してみました。

数字で見るパクジェボム。パクジェボムにまつわる半端ない数字について。

ジェイパークにはやはり1という数字しか似合わんな…という秀逸なオチもあり、いい記事だなぁと思いました。

年始早々ジェボムのインスタ消しはショックが大きかったですが、ジェボムに一番厳しいのは彼自身で、いつも大衆の前では見た目も人格も能力も完璧でありたいと懸命で、それが故に苦しかったのかなぁと思う。常に第一線でいるために自分に課していることがとても大きい人なんだろう。

Twitterで太りすぎちゃった、、みたいなことをチラッと呟いていてそんな雰囲気を垣間見た。

 

しかし振り返ってみるとジェボムの功績というのは計り知れない。

好きな曲とかもう選べませんから…

 

もう一回モンメで踊ってむせび泣きたいのでワールドツアーしてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:「かつて」とされてるところが辛い…

*2:국뽕 라인とあったので読みのまま載せてみました。国+ヒロポンの造語、ネットスラングらしい。自国に陶酔している歌詞(ライン)ってことですね。https://namu.wiki/w/%EA%B5%AD%EB%BD%95

ジェボムの例の歌詞たちがググポンラインに該当するそう。

しかしジェボムがグクポンに至るまでの10年…アメリカを離れ韓国でグクポンの気持ちを持ってくれてありがとうの気持ち…

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